福島へ行って来ました。塩屋岬にも行って来ました。
泊った民宿には見覚えありました。
以前、塩屋岬に行く時に道を間違えて入ってしまった路地に有った民宿でした。
当時の街並みと今の街並みのギャップが激しく、すごく、すごく悲しくなった……。そんな感じでした。
コンサート中も「泣くまい。泣くまい」と思っていたのですが、1日目、二日目とどちらも涙ぐんでしまいました。
以前、「がんばろう福島と言われているけれど、これ以上頑張っていて、それでも暮らしはよくならない。どうやって頑張っていいのかわからない。頑張ろうと言われるほど苦しい」そういった記事を読んだのを覚えています。
だけど、泣けない。泣いたってどうしようもない。
そんな気持ちが伝わってくる記事でした。
その気持ちは私にも分かる気がします。鬱状態だった時を思い出すと、そう言う状況だったな……と。
でも、福島の人たちに限らず、今回の震災で被害に有った人たち、被災者の方たちはもっともっと泣いていいと思います。
音楽が鍵でもいい。
泣くのを我慢して、つらい思いをしながら日々を過ごすよりも、少しでも泣いて、辛い思いを涙に変えて流して、それで前へと進めるなら、泣いていいと思います。
泣いて、本当に辛いって、今でもすごく辛いって訴えていいと思います。
福島にいる間に、大きめな地震に何度も遭い、小さな地震が度々続く。本当に揺れ続ける日を経験しました。
まだまだ、東京はお気楽状態なんだな……
対岸の火事よろしく、クライシスマネジメントもどこ行った……
福島から帰ってきて、家でご飯食べて、そのままずーっと寝てて、やっと起きてこの文章を書いていますが、寝ている間、どんだけ涙を流したのかわからないぐらいに目が腫れてます、涙のあとがパリパリしています。
そして、ぼんやりと考えるのです。
まず、復興復興と言っているけど、復興する前に瓦礫処理。
放射能の線量がどうこう言って受け入れ拒否する人がいるけれども、それ以上に放射能の被曝している人がたくさんいること。じわじわと被曝し続けている人がたくさんいることを考えたら、受け入れ拒否なんてどうして出来る?本当に自分だけ助かればいいの?
東京都も馬鹿みたいに「オリンピックを東京に」とか言い続けてるけど、それだったら瓦礫の受け入れをした上で、オリンピック誘致でしょう?
未だに、民宿の前の中学校の校庭につまれた瓦礫の山。
自分の背の高さを有に上回る程につまれた瓦礫。
どこに行くにもわからずに放置されたままの瓦礫。
これが処理されなければ、復興なんて出来ない、出来るわけない。
そう感じました。
二日目の朝、宿の周りを歩きました。
塩屋岬の灯台の階段は通行禁止になっていました。
階段下のみだれ髪の碑は無事だったようですが、センサーとかは、津波で壊れてしまったのでしょう。
以前に訪れたときは、歌声が聞こえましたが、今は歌声が聞こえません。
宿の周りは、なんとか無事に建っている建物がいくつか。あとは土台だけ。
無事に建っている家も、住んでいる人の気配はありません。
家の土台のところに献花、香台がおいてある家。
ぬいぐるみがおいてある家。
アパートの1階も窓が外れてそのままになっているところもありました。
失礼して、中を見させて頂きました。
足の踏み場もない家の中。
箪笥の引き出しが中途半端に引かれ、学習机が有ったであろう所に散らばった文房具やDVD。
家の入り口を塞ぐように物が置かれ、窓を壊して出ていくしかない状態。
ここの家族は、無事に避難出来たのだろうか。それとも……
思い出すだけでも、身震いと悲しみが溢れてきます。
被災地を見てくるだけでこんなにつかれてしまうのに、そんな中で暮らしている人たちはもっともっと疲れているでしょう。
……じゃぁ、自分にできることは?
ボランティアで炊き出し?違う。 瓦礫の片付け?違う。
報道されない被災地の状態を覚えて、忘れずにいること。うん。そうだ。
そして、被災者の方々の迷惑にならない様に、何かできる事を探す事。うん。
しっかりと伝えること。うん。
音楽療法士になるとかならないとか関係無しに、音楽で心の扉を叩いて、話を聞いてあげること、一緒に考えてあげる事。それができたら一番いいのかなと思う。
資格だどうだこうだとかよりも、経験することが一番確実なこと。大切なこと。
ただ、基本的なことを忘れてはいけない。
無理矢理入り込むのではなく、きちんと断りを入れて足を踏み入れること。
療法士だったり、精神科医だったり。それは誰にとっても基本的なこと。
ただ、時には外から声をかけてあげることも必要。
色々と学んできた、慰問でした。
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